2014年8月7日木曜日

茶の湯で哲学する〜湯相・火相〜

本日のテーマは「湯相・火相」。

 湯相、火相とは、湯加減、火加減のことだ。茶道はもともと茶の湯といったことからも、茶と湯の関係が茶の湯を成立させる第一条件と言っても過言ではない。湯というのをいかに大切にしてきたかがわかる。

 お湯が沸かなければ茶の湯にはならない。美味しいお茶を供するためには、炭を起こして火加減を調整し、理想の温度でお茶を点てなければならない。昔から、秘伝として湯相、火相の大切さを茶人たちは説いてきた。

 茶会ではお客様から美味しいお茶だったという声も聞くわけだが、それでも良い茶会だったというのは、名品揃いだったということに終始することが多いのも事実だ。今日は茶の湯の根本に帰って、湯相、火相を考えていきたい。

 江戸時代に成立した秘伝書「南方録」には湯相、火相に関することが度々出てくる。

数寄屋にて、初座、後座の趣向のこと、休云、初は陰、後は陽、これ大法也。初座に床はかけ物、釜も火相衰へ、窓に簾をかけ、をのをの一座陰の体なり。主客ともに其心あり。後座は花をいけ、釜もわきたち、簾はづしなど、みな陽の体なり。

 茶事は二部構成で成り立っている。まずは第一部、これが初座。茶席に入ると、床の間には掛物のみが掛かっている。そして炉には釜一つ。炉中には下火だけが入れられている。そして、窓には外の光が直接茶室内に入ってこないよう簾が掛かっているので茶室の中は薄暗くまさに陰の装いである。

 炉中は下火だけなので当然、火相も衰えている。釜もまだ水のままだ。ここで炉中の釜を上げ、炭をつぐ。炭が火相、湯相のポイントの一つだ。これから2時間後の濃茶の時間に湯の沸き具合い、湯加減、つまり湯相を最高の状態にしなければならない。炭をついだ後、懐石も終わると中立だ。客は一旦席を立ち、亭主側は室内を改める。そして第二部、後座が始まる。後座では掛物を巻き、床の間には花が生けられる。そして、客が茶席に入ったならば、炉からはシュンシュンとした松風の音、釜の煮え音が聴こえてくる。陰から陽へと茶席が転換したのだ。

かくの如き大法なれども、天気の晴くもり、寒温暑湿にしたがいて変体をすること、茶人の料簡(りょうけん)にあり。たとえば、鬱陶しき天気などの時、初座簾をはづし、突き上げをあげ、花をいけるなどすることあり。されども一向に陽とは心得べからず。
火相を以て第一とするゆへ、かくのごときの体を陰中の陽と云べし。この時とても後座を陰にするとは云ことはなし。右火相にて勘弁すべし。

 これが茶の湯の陰陽の大原則であるが、その日の天候、気温、湿度等、茶人の判断によって臨機応変に対処しなければならない。鬱陶しい天気の時は初座でも簾を外し、突き上げ窓をあけたり、花をいけたりしてもよい。だからと言って、すべてが陽であると考えてはいけない。

 ここが一番大切なところで、陰か陽かを決める一番大切な点は火相であるということだ。部屋をいくら明るくしようが、花を先に生けようが、初座の火は下火のまま、火は衰えた状態のままなので陰である。この状態を陰の中の陽というわけだ。茶席の陰陽は火相をもとに考えなくてはいけない。それは茶の湯が火の神さまを囲んだ儀式である以上当然のことなのだ。

 茶の湯にとって一番大事な時期は口切の季節である。口切とは茶壷に詰めた新茶を旧暦の10月(現代の11月)に茶壷の口を切って茶を喫する行事である。そんな口切りの時の心得もある。封を切ったばかりなので茶の気も強い。

草庵ていの口切は火相心得べし。火をつよくするべし。

 草庵風の侘び茶の口切は火相に注意すべきである。


また火相によりて、先ず炭をすることあるときは、懐石の間、見合て炭をくはへてよし。巧者の客ほど火相に心を用いて、心いそぎするゆへ、炭加へ候へば、客落付て心閑なるもの也。

 火相によって、最初に炭点前をすることがある時は、懐石の途中でも様子をみて炭をつぎたしてもよい。熟達の客ほど気を使って火相がおとろえてはいけないと懐石を急いだりするので、炭をつぎたせば、落ち着いて心静かに懐石などを楽しめるというわけでだ。

 今時このように気を使う客人はなかなかいない。懐石になるとお酒も入り気も緩みがち、時間が過ぎるのも忘れる人も多い、、、。

さて服常よりうすくしてよく、ふりてよし。湯相も雷鳴のとうげ、いかにもつよき湯相肝要なり。

 昔、口切りの茶は客が懐石を食べてる間に、水屋で茶臼を回して挽いたと云われる。水屋から聴こえてくる茶臼を挽く音がまたご馳走となるのだ。時間をかけてゆっくり製された挽き立ての抹茶が出来上がる。

 挽きたての抹茶は気が強い。だからいつもよりも薄めにして、しっかりと茶筅を降っても良いということだ。抹茶が強い分、語弊はあるが少々長く茶筅を振り続けても気が飛ぶことはない。湯相も、雷鳴の峠といった、いかにも強く沸騰している状態がよいのだ。

 では、茶の気が衰えた時はどうすれば良いか。強く沸騰している状態では、茶の気が負けてしまう。沸き立っている状態ならば、水をさして温度を下げ、茶の気を引き立てなければならない。

 湯相、火相を調整するにはまずは灰形の作り方、そして炭の入れ方が大切となる。つまり灰ならば、お客様の顔ぶれをみて、長くなりそうなのか、早く終わりそうなのかを考えながら、灰の懐を深くしたり、浅くしたり、灰の形を整える。炭のつぎ方も肝要だ。炭に関してもさまざまな教えが伝えてれている。

「炭置きの習いばかりにかかわりて 湯のたぎらざる炭の消えしか」(遠州流茶道百首歌)

 湯が沸きすぎたり、湯が沸かなかったりする原因の一つに炭の置き方がある。流儀によって炭の種類、形、寸法、名称等異なるが、火が充分に起きるよう、茶事の間、湯が沸いているように、それぞれ炭には役割があり、現在の形となった。

 ところが、教わった通り炭を置こうとするあまり、炭をキツキツに詰めてしまう。その結果、空気の循環が悪くなり、火の移りが悪くなるばかりか、立ち消えする場合もある。下火(火種)と炭との間に、空気の通り道を充分空けるようにするのがコツなのだ。これはバーベキューであろうと、キャンプファイヤーであろうと同じ理屈である。

 お湯が沸かなければ茶の湯は始まらない。残りの下火の具合、炭の具合を見て、時には臨機応変に炭を組み替えるなど工夫しなくてはならない。

 しかし、上手く炭を組んだと思ってもダメな場合がある。

「炭おかば五徳はさむな十文字 縁を切らすなつり合いを知れ」(遠州流茶道百首歌)

茶の湯にはタブーがある。特に武家茶道の遠州流では”縁を切る”と云うことを嫌う。”縁を切らすな”とは、五徳を炭と炭で挟んだり、炭同志が交わったりすることなく、それぞれの炭が関連を持つように入れていくことを云う。それぞれ隣にくる炭と重なるように置いていく。


「みわたせば上手も下手もなかりけり にえ湯たやさぬ人ぞゆかしき」(遠州流茶道百首歌)

 湯加減の大切さ、茶人の心得は結局のこの歌に尽きるということだろう。かつては、不時の客が訪ねてきてもすぐにお茶が出せるように、常に釜を掛けておくことが、茶人の心得の一つであった。利休が茶の湯の執心ぶりを聞き及んで、不意に茶人の宅に伺ったところ、釜の煮え音が・・・。ところが、炉壇に手を触れたところ温まっていないことに気付き、早々にその家を辞したという話も残っている。

点前の巧拙、茶道具の善し悪しは重要ではない。遠州の書捨文は次の一文で締めくくられている。

明けくれてこぬ人を まつの葉かぜの釜のにえ音たゆることなかれ

0 件のコメント:

コメントを投稿