2014年8月6日水曜日

茶の湯で哲学する〜水〜

本日のテーマは「水」。

 NHKで放映中の大河ドラマ「軍師 官兵衛」も水と大いに関係がある。官兵衛は晩年「如水円清(じょすいえんせい)」と号し出家するが、この如水の名の方が世間一般で知られているかもしれない。この号の由来は、いろいろ諸説があるようだ。「水は方円の器にしたがう(荀子)」、「身は褒貶毀誉(ほうへんきよ)の間にあるといえども、心は水のごとく清し」という中国の古語によったものとも伝わっているが、よくわからない。ここにも坂本龍馬のように司馬史観の影響があるのかもしれない。また、キリシタンであったことから「ドン・シメオン」という洗礼名も持っており、この如水についても旧約聖書に出てくる城攻めの名人であったジョズエ(Josué)から取ったという説もある。

 伝承によると官兵衛が茶の湯を始めるのは、小田原攻めの時、秀吉から茶の湯を誘われてしぶしぶ茶室に入っていくとく「武士が他の場所で密談をすれば人の耳目を集めるが、茶室ならば人に疑われることもない」と言われて、茶の湯の世界に足を踏み入れたとされている。

 その官兵衛が残した茶訓が伝えられている。

【黒田如水茶湯定書】
一、茶を挽くときには、いかにも静かに廻し、油断なく滞らぬように挽くべきこと
一、茶碗以下の茶道具には、垢がつかないように度々洗っておくこと
一、茶の湯をひと柄杓汲み取ったときには、水をひと柄杓差し加えておくこと、決して使い捨てや飲み捨てにしてはならない

右我流にてはなく、利休流にて候間、能くよく守り申すべく候事。惣じて、人の分別も、静かと思へば油断に成り、滞らぬと思へばせはしく成り候て、各々生まれつき得方に成り候。又、随分義理明白なる様にと思へども、欲垢に汚れ易く候。又、親主の恩を始め、朋輩家人共の恩にも預かり候事多く候処に、其の恩を報ずべきと思ふ心なく、終に神仏の罰を蒙り候。然らば、右の三箇条、朝夕の湯水の上にも、能くよく分別候ため、書付け置き候なり。


 古来から水に対する信仰は厚い。古事記の世界でも川の水は清めの力を持っていたり、茶道に限らず新春の水を使うことを若水を汲むという慣習は今でも残っている。

 元旦に水を組めば若々しく長生きし、幸せに暮らせると云われる。また東大寺二月堂のお水とりも旧暦の2月1日に行われていたので、二月に修する法会という意味をこめて「修二会(しゅうにえ)」と呼ばれるようになった。また二月堂の名もこのことに由来している。

 行中の3月12日深夜(13日の午前1時半頃)には、「お水取り」といって、若狭井(わかさい)という井戸から観音さまにお供えする「お香水(おこうずい)」を汲み上げる儀式が行われる。また、この行を勤める練行衆(れんぎょうしゅう)の道明かりとして、夜毎、大きな松明(たいまつ)に火がともされ、参集した人々をわかせる。このため「修二会」は「お水取り」・「お松明」とも呼ばれるようになったのはご存知の通りだ。

 このように昔から水は神仏と深い関わりがあった。そして特別な水が存在する。それが川であったり、湧水であったり、井戸であったりする。

 この如水の教えに書かれているように、湯水を使うときは、神仏に仕える心をもって接しなくてはいけないと諭すのも日本人の信心の影響を受けているからに他ならない。茶の湯で最後の仕舞いに水指から水を汲み釜に差すことも、使い捨て、飲み捨てを戒め、現代的に言うならば湯水を大事せよ、使ったならば元の状態に戻せということなのだが、そのまま放置することは神を蔑ろにすることになるのだ。

 そう考えると、特別な水を汲む道具もそれなりの意味がありそうだ。飾ることが中心であった東山時代の茶道具の中の水指も唐銅などの金属や陶磁器であったものが、茶の湯が連歌師や町人たちの間で行われるようになると、手桶や釣瓶など井戸や川で水をくみ上げる道具が水指として使われるようになる。この事実は見立てという以上に重要な意味合いを持っていると考えられる。川、井戸は他界の出入り口であるという考えは、古から日本人ならば誰もが持ち続けている思想だからだ。

 日本人にとっての水は宗教性の高い水なのだ。若水を汲んでお茶を点てるのも、手桶を水指で使うようになるのもまたしかり。遠州流では、五行の思想に基づいた空手水という抹茶を入れる前に必ず行う手の清め方もある。まさに、それらが宗教性、あるいは民俗性、古い慣習を帯びた「水」ということになる。

 次に茶の湯では物質的な水を挙げることが出来る。物質的な水の象徴として「名水」がある。昔から「茶は水が栓」と言われるように、良いお茶を上手に点てるには、良い水を選ぶことが大事であるということわざもある。

 東京には御茶の水という地名がある。当然、お茶という地名がつくので、お茶と関係していることぐらいは想像がつく。昔この辺りに高林寺という寺があり、ある夜、境内に突然清泉が吹出し、世の評判になった。そこで将軍家光がそれを聞いて「御茶水」として献上を命じ、以後寺の名も「御茶水高林寺」と別称されるようになったことからこの一帯を「御茶の水」と称するようになった。しかし、その後この清泉も崩れてしまい、明暦の大火で焼けてしまったこともあり、この寺も駒込に移転してしまった。そのような話が伝わっている。

 正確にはどこにその清泉が湧く御茶の水があったのか今日ではわかりらない。御茶の水という地名は江戸以降ということになる。もっとも御茶の水という名はその地域の総称であって、駅や橋の名前があっても正式な地名は駿河台という。

 江戸というのは埋立して出来たところで、もともと水はけも悪く、海に面していたので、湿地であり、川の下流の方も井戸を掘っても塩分の多い水が多く飲むには適してなかった。そこで、江戸の町を作るときに家康の命令で上水道を作った。それが小石川上水、神田上水であり、その後人口増加と共に玉川上水も作られる。よく時代劇の中で長屋で井戸から水を汲み上げるシーンが出てくるが、あれは正確には井戸水ではなく、上水道の水、つまり江戸時代から江戸っこは水道水を使っていたということになる。しかし、上水道といっても今みたいに品質が管理されているわけではないので、下流になるにしたがって水が濁ったり、臭ったりだとか、飲むのに不都合が出てくる。そこで、水売りという商売もあらわれる。つまりミネラルウォータがすでに売られていたのだ。そんな江戸の水事情故に、江戸の駿河谷に水が湧いたとなるとそれは大ニュースであっただろう。

 この御茶の水と名づけられた時期、いわゆる寛永の時代こそが、名水を考える重要な時期とになる。蛇足だが、この清泉が出たといわれる高林寺と遠州の屋敷は目と鼻の先であった。献上されたのが事実であるとすれば、それは遠州抜きには語られないのではないかと想像する。今でも外堀の内側から湧き水が出ている箇所がある。検査したところ大腸菌が多くともても飲み水には適さないとのことだが、お茶の場合、お酒に使う水と違って不純物が入っていない水よりも何か入っていた方が適している場合も多々あることから、水が湧き出しお茶に使ったというのは事実かもしれない。

 ここで、名水の歴史を振りかってみると、名水をひとまとめに紹介した最初の本は枕草子といわれている。空海が杖をさしたところから水が沸いたとか、そのような神仏に関わる水の話はそれ以前からあるが、枕草子では名所や和歌との関連で選ばれた名水が記されている。

 ところが鎌倉時代に名水の記事はない。室町時代もないのだ。そんなことはないだろう。能阿弥や利休の名水があるじゃないかと反論される方もいらっしゃるだろう。しかし、三名水とも伝えられる醒ヶ井(さめがい)、柳の水、宇治橋三の間の水も江戸時代以降の書物が紹介しているに過ぎない。つまり、茶の名水も茶道が確立してからの産物とみてもいいかもしれない。

 では茶会で名水が使われていたならば、客としての心得として知っておかなければならないことがある。お茶をいただいた後、お白湯を所望することである。「今一服いかがですか」と問われたら、「お茶は十分ですので白湯を頂戴したい」というのが礼にかなった客の作法ということになる。

 ここまで、宗教的な水、物質的な水をみてきたが、最後に精神的な水を考えたいと思う。そのキーワードが「露」である。「露」というのは究めて茶道的な言葉だ。例えば露地。もともとは露ではなく路という感じが当てられていた。時代が下るにしたがって次第に「露」があてられるようになる。それは、露地のあり方を、仏界とむすび、ここに入るときはすべての雑念を捨てて、仏心、つまり仏様の心を露出する、著すということに繋がる。一般家庭の庭を露地ということはないのだ。

 最期に遠州流に伝わる茶道百首歌を紹介してこの項を終える。

「三つのつゆ 五つにかようと聞くときは 四つあるものは一つなりけり」

 三つの露とは、先に述べた露地と関係している。茶会では、お客様が席入りする前に一度水を播く。そして中立の前に一度、そして茶会が終わりお客様が席を立つ前に一度、打ち水をする。この三度の打ち水のことを三つの露と云った。南方録にも「露地にて亭主の初の所作に水を運び、客も初の所作に手水をつかう。これ、露地、草庵の大本なり」とある。露地の手水鉢で世間のけがれを落とすのだ。

 では次の茶室の中に目を移して見ると、茶席の中にも露がある。掛け物の風帯の露、茶杓のかいさきの露、茶入の仕覆の露、そして花の露だ。これが茶席の中の四つの露、この歌で云う四つあるものということになる。五つにかようとは、露地の打ち水を一つとして数えると、茶席の中の露とあわせて五つ。そう考えると茶席の中の露も五つあるので、あわせると一つということになる。なんか謎かけのような歌であるが、その心は露の大切さを伝えるための歌なのである。

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