行儀とは、礼儀の面から見た立ち居振る舞い、またその作法・規則のことを云う。つまり、礼儀作法のことだ。同じ意味合いで礼法という言葉もある。礼儀のきまり、作法のことであるが、どちらかというと礼法はオフィシャルな場面を想定して使われてきた。
例えば、遠州流の点前の中に貴人点という点前がある。貴人とは将軍や大名、公家など高貴な身分をさす。とくに遠州は茶道指南役ということから、そのような貴人を接待することが多かった。その貴人をお茶でもてなすために「台天目無盆唐物相伴付」という点前が今に伝わる。貴人一人に台天目でさし上げて、お供の者に他の茶碗で差し上げる点前だ。
通常の点前では茶碗に人数分をいれ、柄杓一杯お湯を汲む。客が三人ならば柄杓五分三を茶碗に、残りのお湯は釜に戻すことになっている。しかしこの「台天目無盆唐物相伴付」の場合、貴人がもう一服所望した時に、相伴客に出した残りのお湯が釜に戻っては失礼に当たるので、相伴客に対してはは汲みきりといって人数分のお湯の量しか柄杓に汲まないのが習いである。これは昔の礼法の名残りであろう。茶道の中にもオフィシャルな礼法が残っているのだ。
一方行儀は、庶民の礼儀作法を指す場合が多い。茶の湯において行儀がクローズアップされてたのは、明治維新以降の茶の湯からである。
それは、女性たち、特に若い女性に大しての礼儀・作法を身につける場としての茶の湯が利用されたからだ。江戸時代は町人や農民の子弟たちが武家屋敷に奉公にあがり、そこで行儀作法を身につけた。しかし、武家の没落と共に奉公先はあってもかつてのように厳格な礼儀作法を身につける場は少なかった。その肩代わりを女学校に求めたのでだ。
女学校に通える人たちというのは上流階級の子女たちである。このような女性たちがやがて妻となり母となる。女性に茶道が開放されたとはいえ、その頃茶道はまだまだ男性の社会である。江戸時代からの儒教の影響もあり、礼儀作法は上に従わなければならない従順さも求めた。そのため女性は行儀見習として茶道を習っても、師匠になることは出来なかった。
しかし、皮肉なことに戦争の二文字が彼女たちを師匠の道へ誘った。日清戦争、日露戦争以降、たくさんの戦争未亡人の生活の糧になるように師匠になる道が開けたのだ。
彼女たちは当然、行儀という面を重要視する。それまで一部の女学校、茶の宗匠に習わなければならなかった茶道の間口が広がった。
昭和5年の読売新聞の婦人欄には次のような記事がある。
お嬢さんに勧めたい茶道
我国には、昔から抹茶というものが、生花と共に女の欠くべからざるものとなっていました。しかし、生花はともかく抹茶は時代に適しないものと思われているようですが、私は行儀のくづれたこの頃のお嬢様方に是非おすすめします。
「抹茶を習うのは時代錯誤だ。今頃習うものならダンスを習う」と、ある人に言われました。最もだと思います。ダンスはたしかに姿をよくします。しかしある弊害をともないます。考えてご覧なさい。堅実な家庭ではダンス場には出しますまい」
抹茶が家庭に何ら必要のないのは事実です。よほど高級な家庭でないと、お釜はかかりませんし、それだけの暇はありません。現代は誰もが働かねばならぬのですから、それよりコーヒーの入れ方の上手な方がよいことも承知していますが、私のおすすめするわけは、そのお茶のたてかたを習ううちに、知らず知らず行儀作法を覚えるからです。
いかに上流階級の人にしたって、洋服ばかりで暮らすということは日本人には到底出来ません。普通の家庭では日本服がやはり主です。着物を着る以上、着物のものごしが必要であります。
お茶を習うと第一に着物の着方が上手になります。ちぐはぐな着物を召して格好の悪いお嬢様もきちんろ体にしまりが出来て、よい姿になることは驚くばかりです。それは眼に見えない注意をするようになるからで、知らず知らずのうちに気品が出来てまいります。
それから食べ物の好き嫌いがなくなります。料理を知ります。人との交際を知ります。虚栄に走らない奥ゆかしい交際です。また、度胸が出来て、人様の前で小さくなりません。
そして控え目をいたします。なおこの抹茶作法は実に無駄を省いた合理的なもので感心します。清潔も解し、物のたいせつなことやら、取扱い方の注意も行き届きます。
私はおとなしい方より、少しがさがさした落ち着きのない方がお習いになって実に効果があると信じます。いつの間にか高級なもの無意義なものとして侮って等閑にしている茶道の真の意義を解して、どうぞ皆さんよき女性になって下さい。
礼儀・作法は江戸時代から嫁入り道具の必須アイテムとして女性に求められていた。しかし、戦況が厳しくなってくると、そのような微笑ましい記事は少なくなる。さらに物資が不足してくると、今まで通りの茶が出来なくなる。知足按分、足ることを知らなければならない時代に来るとその精神性、そして不自由な中での取り乱さない礼節が求められるようになった。
一般に戦争に直接参加していない一般国民や国内のことを銃後と云った。多くの女性たちが間接的に何らかの形で戦争に参加する協力することになった。
明治天皇の軍人勅諭の5箇条(1忠節、2礼儀、3武勇、4信義、5質素)は茶道の教えに重なることもあり、戦時下の中、積極的に戦争推進に茶道界は加担することになった。
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