”あかり”と言うと茶室の窓を思い浮かべる人が多いだろう。
自然の採光を採り入れた舞台装置が茶室であり、窓の数は、茶室のしくみ、趣向に大きなはたらきをしている。現在、東京国立博物館にある宗和好みの茶室、六窓庵、また京都・金地院、遠州好みの茶室は 八窓の席と呼ばれている。いずれも、小さい茶室に小さい窓を多く切り、窓の数が茶室の呼び名となっている。
一般的に亭主の座る点前畳の周辺には、正面に「風炉先」窓があり、左側には「掃出窓」がある。いずれも客畳にある窓よりも低い位置に造らている。当然、手元を照らすためであると想像できる。薄暗い室内で亭主の手元が明るくなるような工夫がされているのだ。
茶室の窓には客畳に設けられている窓がある。これは客が座った状態で、それより高い位置に窓が切られていることが多い。夜会の場合、障子に人影が映らないようにとか、俗説として外から槍などで突き刺されないためとか書いてあるものもあるが、手元の光と外から照らす光が客で遮られることなく室内を照らす工夫がしてあるのだろう。
窓の造りには2種類あって、下地窓と連子窓がある。下地とは壁土を塗るための木舞(こまい)のことで竹で十文字で細かく組んである部分でこの部分を塗り残した窓のことをいう。国宝待庵が有名だ。一方、連子窓とは窓の外側に直径二センチほどの白竹の格子を打った窓のことを云う。
床の間にも窓がある。床の間の左右に小さい窓を作る場合もある。これを墨蹟窓、あるいは花明窓とも云う。
屋根の傾斜をそのまま見せる駆け込み天上に「天窓」または『突上窓』を切ることもある。これは暁や月明かりを茶室に取り入れる工夫とされているが、今は形だけ残して障子を入れて電灯をいれたりしてるところも多い。
炉中にも”あかり”がある。炉中の“あかり”というのは、神との関係抜きには語れない。火には二つの役目があり、あかりとしての火、もう一つがものを焼く火、つまり熱源としての火である。そしてケガレを払うという呪術的な面を常に持っているということだ。
火を囲むというのは洋の東西に関わらず、火は人と神を結びつけるものであり、人と人を結びつける。茶の湯の思想の原点なのだ。
また、陰陽の思想もまた“あかり”の一つといえる。茶会の流れにおける陰陽は、前半が“陰”、後半が“陽”である。その演出のために、昼の茶事では前半は窓に簾をかけ、後半、お客に濃茶が行き渡り、中水をする頃、窓にかかっている簾を順番に巻きあげていく。
夜の茶会には”あかり”が必要だ。行灯、短檠、手燭などがそれにあたる。月夜の自然の”あかり”もこれに入れていいだろう。”あかり”を灯す照明道具にも陰陽がある。行燈は火のともる周囲を枠でかこみ、それに紙を張り中に火をともすから間接照明になり、短檠は燈火をそのまま見せている。それで行燈は陰、短檠は陽の燈火ということになる。
手燭台に至っては客にもその心得が求められるなど、火を使う茶会は難しい。それ故”あかり”に関する道歌が多く伝えられている。
「灯火に陰と陽と二つあり 朝は陰に夜は陽としれ」
灯火、つまり灯りにも陰と陽の二種類ある。夏に行われる朝茶などは、次第に明るくなってくるので灯火は暗くしておいてもよい。つまり、陰である。反対に夜の茶会は、夜も更けていくということで、短ケイの油も充分に、明るくするように心がける。つまり、陽と云うことになる。
「夜籠(よごめ)には数寄屋のうちも行燈に 夜会はいづれ短檠としれ」
夜籠(よごめ)とは夜通しする茶会のことを云い、夜会とは所謂、夜咄(よばなし) 厳冬の夜に行われる茶会のことを云う。夜籠の茶会の時は、行灯を用いて、部屋の中、廊下など明るくする。夜会の場合は、短檠、裸の灯芯を出したものを使う。夜の茶会は亭主も客も相当な達人でないと成立しないとされ、秘伝中の秘伝ともされている。
「いにしえの夜の床には掛物も 花もなきとぞいいつたえなり」
昔は床には短檠のわずかな灯火だけであったため、掛物の文字も読みにくい。花を生けても、花の影が壁に映ってしまうなど、不都合なことが多いので、掛物も花もなくてもよかったようだ。織部の時代になると、白い花ならば生けて良いということになった。掛物や花の代わりをしたものは、砂張の盆に石を置いて白い撒き砂をした”盆山”や青磁の鉢などに入れられた石菖であった。
遠州が上田宗古に宛てた『夜会の習の事』に「一夜の数寄は昼より心持あること也。心静にさはがしくなき様にあるべし云々」と、夜会の心得を記している。ただ、夜催す茶会を夜会と云うのではないのだ。夜会の習こそが秘伝中の秘伝であり、夜会、夜咄しの茶事は亭主も客も巧者でなくてはならいため、誰もが容易に出来るものではない。
本来の夜会はすべての“あかり”をシャットアウトしたところから始まる。つまり、障子窓をはずし、木戸を入れて風が隙間からはいらないよう、あかりがもれないよう前日から水打ちをして、木々の隙間もなくしておく。さらに、水屋の者は大変だ。茶席の中に灯りが漏れないよう、最小限の灯りで仕事をしなければならないからだ。遠州流では茶室の中で蝋燭の芯を切ったりしない。必ず水屋に下げてから切る。常に中の様子を感じながら、阿吽の呼吸で交換しなくてはならない。蝋燭を使うということは、煤も当然出る。終わる頃になると手に付いた煤に気が付くことになる。
茶道望月集に「先風炉の時、路地第一の心得は可有。朝の客とて風炉のに限りて夜込と言事はなし・暁は蚊多くて難儀也。夜咄・夜込も本式の客にはなき事也」とある。
現代では冷暖房完備の茶室もあり、また虫除けクッヅも多くあり、昔ほど虫に悩まされることは少なくなったが、それでも夏の茶会は虫対策が大変だ。当然、夜咄や夜込のように、”あかり”が必要とされる茶会は風炉の季節(5月〜10月)にはしないのが習いだ。陽が落ちている方が涼しくてよさそうだが、明かりに誘われて虫たちが寄ってきて茶会どころではなくなるのだろう。”あかり”が必要となる茶会は、虫たちがいない冬の時期ということになる。
”あかり”はたんに照明、熱源の道具ではない。今日では現代の”あかり”のお陰で誰もが一年中24時間お茶をすることが出来るようになった。しかし、その代償として茶の湯の根本思想である”あかり”が消えた。
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