2014年8月26日火曜日

茶の湯で哲学する〜茶の湯〜

本日の茶の湯で哲学するテーマは「茶の湯」。

茶道は元来茶の湯と云った。

 茶の湯とはただ湯を沸かし茶をたてて 飲むばかりなることを知るべし
 
  利休が茶の湯の根本理念を説いた和歌として知られている。総合芸術と云われるように、茶の湯の持つ領域は広く、建築、造園、美術工芸、食文化も包含したものである。さらに茶の湯は、ここに思想、哲学がは入ってくる。自分自身を磨き、向上させ、さらに芸術性を加味させねばならぬ。

 しかし、茶の湯者と云うとけっして完璧な茶人ではなかった。

 茶の湯者と数寄者は其の称同じ様にて其の様大いに異なれり。譬えば、茶の湯者は淵のごとく、数寄者は瀬に似たり

 これは細川三斎の「茶の湯覚え書」の一説。茶の湯者と数寄者の違いを淵と瀬に例えて説明したものだ。淵は川の流れが滞って深く水をたたえているところである。しかし、表面は澄んでいるように見えるが、実は水がよどんでいる。瀬とは浅い流れのことで、塵埃などは留めていないまことに清らかなところである。

 茶の湯者は淵で、数寄者は瀬なのだ。

 茶の湯者は、招く人によって態度を変える。自分より偉い人を招くときは、茶も料理も贅沢を尽くし、名器を出して歓待する。しかし、侘者、つまり自分より身分の低い者の時は、等閑のもてなしで茶を濁す。己の道具がいかに価値が高いかを自慢し、自らを数寄者と称する。つまり、茶の湯者は淵であり、外見は立派に見せても中身は傲慢で、水底にたまる塵埃のようなものなのだ。

 一方、心の中も清廉で身分によって差別することなく、誰にでも同じようにもてなす。贅沢もせずモノに執着することもなく茶の湯をする者を数寄者と云い瀬と例えた。瀬は水が浅く明鏡のごとく澄んでいる。また、水底に塵埃も溜めることもない。

 茶の湯を志す人は、清浄な心をもち、欲心をすて,茶の湯本来の姿を見極めていかねばならないのである。茶の湯者とはまだまだ未完成の修行過程の段階なのだ。

 武野紹鷗が門弟に示したと伝えられる茶の湯の心得にも茶の湯者と数寄者の違いが明確にわかる。

茶の湯者の茶人めきたるは、ことの外にくむこと

数寄者といふは隠遁の心第一に、侘びて、仏法の意味をも得知り、和歌の情を感じ候へかし

 茶の湯者が茶人ぶるのは、ことさら軽蔑すべきことである。ここでの「茶人ぶる」とは先に述べた数寄者と称することである。数寄者は隠遁の心を第一に、侘びて、つまり贅沢もせず、仏法に帰依しその心を実践し、和歌の情趣を理解する人のことをさした。

 茶を志すも茶の湯者とは俗人のことなのだ。現代茶道も聖俗あいまったところがあるのも致し方ないところである。それが茶人のランク付けにもつながる。山上宗ニは次のように述べている。

目利ニテ茶湯モ上手、数寄の師匠ヲシテ世ヲ渡ルハ茶湯者ト云、
一物モ不持、胸ノ覚悟一、作分一、手柄一、此三箇條ノ調タルヲ侘数寄ト云々、
唐物所持、目利モ上手、此三箇モ調ヒ、一道ニ志深キハ名人ト云也、
 茶湯者ト云ハ、松本・篠両人也、
 数寄者ト云ハ、善法也、
茶の湯者ノ数寄者ハ古今ノ名人ト云、
 珠光并引拙・紹鷗也、 

 茶人たちには昔からランク付があった。道具の良し悪しを見分ける目を持ち、茶の湯も上手、数寄の師匠をして生活している者を茶の湯者。これといった道具も持たず、茶道に志す覚悟、工夫、そして手柄(手並み)、この三つを持っている者を侘数寄。唐物、いわゆる名物を所持、目利きも茶の湯も上手、茶の湯をする上で持っていなくてはならない覚悟、作分、手柄も調い、茶の湯の道に志深い人は名人と云われた。

 つまり、茶の湯者、数寄者、名人と茶人たちは評価したのである。そうすると我々は茶の湯をするのも、数寄者と云う次なるステージを目指しての人生の修行ということになる。人として未熟故に茶の湯をしなくてはならない。

 小座敷の茶の湯は、第一仏法を以て修行得道する事なり

 小座敷の茶の湯はまず、第一に仏教の教えをもって修行し悟りを開くものである。利休の秘伝書とされる南方録の語るとことである。建物のりっぱさや、食事の珍味を茶の湯の楽しみに思うのは俗世間のことで、家は雨がもらなければよい、食事は飢えぬほどあれば十分である、これが仏の教えであり、茶の湯の本当の心であると説く。

 しかし、現代数寄者というと些か意味合いが異なる。

 おらが茶の湯はそんなものではない。茶の湯は本来趣味である。無論茶の湯に依って世間に様々な好影響を及ぼす事があるかも知らぬ。そんな副産物を眼中に入れるのは既に第二義に堕ちるものである

 茶の湯を修行と説いた古人の教えに真っ向から反旗を翻したのが高橋箒庵であった。彼は新聞記者をへて三井銀行 その後51才で実業界を引退・名物茶器の記録、大正名器鑑、数寄者の記録、東都茶会記を著すなど近代の茶の湯の発展に大きな功績を残した人物である。
 
 「茶の湯は趣味である」と宣言した箒庵をはじめ、明治・大正を生きた実業家たちの茶の湯は有り余る財力を背景に茶道具蒐集に走った。そして、彼らのことを近代数寄者と称した。そこには瀬を踏むこともなく、淵に陥ってしまった茶の湯があった。

1 件のコメント:

  1. CASINO COIN GIVES 25 FREE SPINS NO DEPOSIT
    A total of 25 no deposit free spins are 상주 출장마사지 awarded for the 충청북도 출장안마 first 10 active 태백 출장마사지 casinos with 100% first 순천 출장샵 deposit bonus. For players who 양산 출장샵 sign up for

    返信削除