茶会で最初から最後まで茶席に存在する茶道具は釜である。
「それ茶の湯の道とても外にはなく、君父に忠孝を尽くし、家々の生業を懈怠せず」で始まる小堀遠州の書き捨ての文の最後の一文は「松風の音絶ゆることなかれ」と締めくくられている。松風とは釜の湯の煮え立つ音のことを云う。釜の煮え湯が落ちてしまっては茶の湯は成り立たないのだ。
豊臣秀吉が開催した北野大茶の湯。天正15年10月1日(1587年11月1日)に京都北野天満宮境内において秀吉が主催した歴史上最大規模の茶会だ。その茶会を開催するに当たって、京都の五条などに高札が掲げられた。
若党、町人、百姓已下によらず、釜一、釣瓶一、呑み物一、茶焦がしにても苦しからず候
茶がないものはこがしでも良いと書いてある。茶の湯でありながら抹茶は絶対ではないのだ。茶高札は誰が書いたのかはわからないが、秀吉の意向を十分に配慮したことだけは確かだ。そこには、釜一つと書いてある。抹茶はなくても釜が無くては茶の湯は出来ない。
抹茶は文献上では800年ほど前に栄西禅師がもたらしたことになっている。釜は抹茶伝来以前よりあった。その用途は食物を炊く、煮る、そして湯をわかすという、炊事用の鍋釜である。
茶の湯に使われる釜は伝承によると土御門天皇の時代、建仁、元久の頃(1201〜1206)に入って作られるようになった。足利義政の東山時代を迎え茶の湯が盛んになるにつれて輸入品や特定の産地の釜では需要をみたすことができなくなり、仏像や仏具、一般の鋳造品を造っていた鋳物師たちが釜も作るようになった。唐銅を主とする中国の釜と異なり、日本の釜は鉄を主としてすぐれた茶の湯の釜が鋳造されるようになる。
釜は芦屋、天明などの古作のものや、京作釜など名人の作がもてはやされた。
芦屋釜は釜の王様と云っていいだろう。芦屋というと一般の人は兵庫県の芦屋をイメージするが、筑前(今の福岡県)の芦屋のことだ。芦屋釜の起源は土御門天皇の時代、建仁、時代に京都栂尾の明恵上人が初めて芦屋で釜を造らせたと伝えられている。その最初のものが羽付の真形で、これを祖釜といって最上の釜とされた。
この筑前芦屋の釜大工たちは、16世紀半ば、当時筑前を支配していた大内氏が滅んだ後、各地に離散して、伊勢、播磨、越前、石見、伊予などに移り住んで釜を製作するようになった。そしてそれぞれの地名を頭に付けて、越前芦屋、伊勢芦屋、伊予芦屋、肥前芦屋、播磨芦屋、石見芦屋などと云われるようになった。
芦屋釜の特徴は、一般的には薄作で、形と地紋がすぐれている。口から肩にかけての曲線と、肩から胴への量感に力強さと優雅さが見える。古いものは肩のはらない丸い形のものが多く、時代が下がるにつれて肩が張ってくる。文様も写実的な装飾地紋に精巧で華麗なものが多い。釜肌は絹ようような美しい肌あいを匂わせている。
初期の鐶付は胴の中央ぐらいについている。次第にやや上部の方についけられるようになった。それは炉の普及とは無関係ではない。釜を炉壇、つまり炉中に据えた時、鐶付が中央にあっては炉壇に触れたり、あるいは釜鐶を上手く入れることが出来ない。古い釜ほど鐶付が中央部分にあるということだ。
もう一つ古い釜で天命釜という釜がある。これは栃木県佐野市のことで、古くは佐野天命と呼ばれていた。また、神奈川県小田原でも天命風の釜が造られ、古くからこちらの方は天に猫をあてて天猫と呼ばれる。天命に比べると時代が下がる。
天命釜の特徴は、地紋があるものが少なく、その肌合いにある。鐶付は、芦屋には鬼面が多いが、天命釜は遠山、貝類、蕨などが多いのが特徴。また、天命には共蓋が多く、唐胴蓋は少ない。
このように釜は真形、面取、四方、霰、累座などその形姿や地紋、鐶付や肌合いなどが賞翫の対象になることが多い。しかし、通常、釜の胴の部分は炉中に隠れていることが多く、常に客の眼が注がれるのは、蓋である。蓋が悪いとせっかくの名品も台無しになってしまうのだ。
それ故、良い釜というのは良い蓋がついている。蓋の善し悪しは、道具の格を左右する。釜の蓋を誉めることは目利きの証明であり、亭主冥利につきるものとなる。ところが、最初からその釜のために作られた共蓋がついていることは稀だ。多くが後から合わせたものである。
釜は鉄で出来ているので、念入りに手入れをしたりしても、錆びたり、底が抜けたりして、蓋だけ残ることがあった。茶人は、良い出来の釜の蓋を出来るだけを集めて、お気に入りの釜と合わせる。ピタリとくると一方ならぬ喜びであったに違いない。利休の四方釜は蓋に合わせて釜を作ったことでも有名である。
茶の湯は囲炉裏、火の神を囲んで執り行なわれる儀式である。茶の湯が茶道と称されるようになり、茶から湯が無くなってしまったが、湯がなくては茶道にはならない。釜が最初から最後まで存在する理由がそこにある。松風の音を絶やしてはいけないのだ。
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